「推定する」と「みなす」は、混同して使われやすい言葉です。
「推定する」というのは、本当はそうではないけれども、とりあえずそのように扱っておいて、相手方の反証があったときには、その扱いをやめて、相手方の反証どおりに扱うことを許すといいうものです。
反証の余地があるということです。
これと対比する概念として「みなす」という語があります。
これは、断定することであり、本当はそうではないものを、そうであると断定します。
つまり、「推定する」とは異なって、相手方の反証があっても、そうであるとみなした以上は、それとは異なる取扱いを許さないものです。
民法で具体的に見てみましょう。
(夫婦間における財産の帰属)
第七百六十二条 夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。
2 夫婦のいずれに属するか明らかでない財産は、その共有に属するものと推定する。
762条2項は、夫婦の財産の取扱いについて定めます。
1項は、原則として、婚姻中に得た財産であって、自分の名で取得した財産は、その取得した者の財産となります。
しかし、2項では、ある財産が夫婦のいずれに属するのか明らかでない場合は、夫婦の共有財産に属すると「推定」されます。
「推定」なので、この財産は共有ではなく自分だけのものだ、と主張したい場合は、自分の単独所有であることを証明することができれば、推定が破られるので、裁判所は、その証明者の単独所有であると認めることができます。
仮にこれが「みなす」とされていた場合、「みなす」は上記のとおり断定することと同義なので、反証を許さない、つまり、単独所有であることを証明したとしても意味がありません。
つまり、いずれに属するのか明らかでない財産は、必ず夫婦の共有とされることになります。
ただ、このようなケースでは、立証できたにもかかわらず、あえて共有にしておくことは衡平の概念に反しますよね。
そこで、共有か否か分からない間は共有ととりあえず「推定」しておいて、いずれかの単独所有であることが立証されれば、その人の単独所有とする方がよい、と考えられたため、「推定する」の語が用いられています。
他方、「みなす」が使われている例としては以下のものがあります。
(婚姻による成年擬制)
第七百五十三条 未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす。
これは、未成年が婚姻すると、成年として扱われることを定める条文です。
ここまでお読みいただいた方は、ここで「推定する」ではおかしいことはお気づきかと思います。
未成年者であることを前提に、婚姻をすれば成年として扱われる、という条文なので、未成年であることは、当然に反証されてしまいます。
ということは、推定しても無意味です。
したがって、ここでは「みなす」が適切ということになります。
それから、「みなす」は、「推定する」が用いられる場面よりも、法律上の地位の早期安定の要請がより強く働く場面でも用いられることがあります。
例えば、以下の条文を見てください。
(居所)
第二十三条 住所が知れない場合には、居所を住所とみなす。
2 日本に住所を有しない者は、その者が日本人又は外国人のいずれであるかを問わず、日本における居所をその者の住所とみなす。ただし、準拠法を定める法律に従いその者の住所地法によるべき場合は、この限りでない。
この条文は、住所が分からない場合は、その者の居場所を住所と「みなす」としています。
つまり、この場合には、居所(人が継続して住んでいる場所であって、住所ほどその人との結びつきが密接ではない場所をいいます。)が住所と断定され、後で住所が分かったとしても、それまで居所を住所として扱ってきた事実に変動はないことになります。
住所は様々な法律関係の基礎となるものなので、後で住所が判明したからと言って、それまでの法律関係を見直すことは現実的ではなく、また、様々な利害関係人に迷惑を掛けることになるので、「みなす」の語が用いられています。