「押印についてのQ&A」について

令和2年6月19日、内閣府、法務省および経済産業省の連名で、「押印についてのQ&A」が公表されました。

これは、こちらに「テレワークの推進の障害となっていると指摘されている,民間における押印慣行について,その見直しに向けた自律的な取組が進むよう」とあるように、押印が不要であることを周知することで、テレワークを促進するために作成されたものです。

そもそも、押印がなくとも契約が成立することは、少なくとも法務担当者の間では常識のことかと思います。根拠は、以下の民法522条です。

(契約の成立と方式)
第五百二十二条 契約は、契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。
2 契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。

簡単に言えば、1項では「契約は申込みと承諾によって成立する」、2項では「法令が別途定めていなければ、どうような態様でも契約を成立させることができる(書面も原則として不要)」という旨が規定されています。(「契約」と「契約書」の違いについては、以前の記事をご覧ください)

第2項にはっきりと「書面の作成・・・を要しない」と記載されており、書面がなければ押印もしようがないですし、「その他の方式を具備することを要しない」とも言っていますので、契約を成立させるために押印は当然不要となります。

そこで、一つ目の疑問として浮かぶのは、それでも契約書を作成しているのはなぜか、ということです。これも、上記の記事に書いたとおりですが、引用すると「それではなぜ契約書を作成するのか、ということですが、それは、両当事者の意思を言葉に落として、将来的に契約内容に疑義が生じることを避けるためです。文言にすることによって、意思の明確化を図ることができるとともに、両当事者間で共通認識を持つことができることに加え、より慎重に契約交渉が行われることとなって、その反射的効果として、契約遵守の意識が高まる、という副次的な効果も生じます。」ということです。

次に、二つ目の疑問として浮かぶのは、契約書作成の必要はわかったが、さらに押印までするのはなぜか(民法第522条第2項には「書面の作成・・・を要しない」と記載されており、書面がなければ押印もしようがなく、「その他の方式を具備することを要しない」とも言っているにもかかわらず)、ということです。

これも以前こちらの記事に記載したとおりですが、以下の民事訴訟法第228条が関係しています。以下は、上記の記事からの引用です。

「(文書の成立)
第二百二十八条 文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。
2 文書は、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めるべきときは、真正に成立した公文書と推定する。
3 公文書の成立の真否について疑いがあるときは、裁判所は、職権で、当該官庁又は公署に照会をすることができる。
4 私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。
5 第二項及び第三項の規定は、外国の官庁又は公署の作成に係るものと認めるべき文書について準用する。

そして、契約書は私文書に属するため、第4項が関係します。(なお、「私文書」とは公文書以外の文書のことで、「公文書」とは公務員がその権限に基づいて職務上作成した文書をいいます。)」

詳しくは上記の記事押印によるQ&Aをお読みいただければと思いますが、簡単に言えば、押印をするのは、「本人の押印があれば、その文書は真正に成立したものと推定されるから」です。

真正に成立したことが推定されるということは、つまり、相手方によって、文書が真正に成立したという事実の不存在が少なくとも真偽不明の状態に持ち込まれるか、本人の意思で作成したという事実についての反証がない限り、文書が真正に成立したという事実があるということになるため、実質的に文書が真正に成立した事実についての立証責任が転換されるのに近い効果が生じることになります(「二段の推定」の記事をご覧ください)。

仮に損害賠償金を1億円と定めるある契約書について、当方が訴えを提起し、裁判が開始されたときに、相手方が「自分はそんな契約書など作成した覚えはない、だから1億円の損害賠償義務も負っていない」と主張すると、当方が「その契約書が当方と相手方との間で作成され、真正に成立したものであること」と証明しなければなりません。そして、裁判官は、文書成立の瞬間を見ていないので、当事者双方から提示される様々な証拠から、確かに両当事者がその文書を作成し、真正に成立させたのだ、ということを形式的に認定していかなければなりません(これが押印によるQ&Aで言及されている「形式的証拠力」ということです)。内容の(実質的な)審査の前提として、文書が真正に成立したという(形式的な)事実が必要だということです。

その際に、上記の民事訴訟法第228条第4項が使えるのです。すなわち、本人による押印があれば、文書が真正に成立したと推定されることになります。

そして、この「本人による押印」を認定するために、「本人の意思による押印」と読み替え、本人の意思によるかどうかは、例えば本人の印鑑により顕出される印章が用いられていることを印鑑証明書により証明することをもって本人の意思によることが(事実上)推定され(第1段階の推定)、そして本人の意思による押印があるのであれば、民事訴訟法第228条第4項により、文書が真正に成立したものと(法定証拠法則により)推定される(第2段階の推定)、という「二段の推定」の論法が用いられていることも、上記の記事で述べたとおりです。

まとめると、押印をするのは、相手方に文書の成立の真正を争われたときに立証負担を軽減するため、ということです。今回の押印によるQ&Aの主題のとおり、決して契約を成立させるために必要だということではありません。

しかし、契約書を証拠とするためには、やはり当事者間の意思表示がそこに現れている、ということを担保しなければなりません。押印が不要、というのは、別に押印でなくてもよい、ということを言っているに過ぎません。押印に代えて、何らかの意思表示を確認できるようにしておく必要性がなくなることはありません。

では、どうするのか、ということも、押印によるQ&Aに記載されています。それが問6「文書の成立の真正を証明する手段を確保するために、どのようなものが考えられるか。」です。回答としては、その契約の成立に至るまでの過程を記録しておくことと並んで、電子署名が挙げられています。

電子署名の法的リスクは、日経新聞において、2020/5/28付「クラウド上の契約に法的リスク 20年前施行の法が壁に」と題する記事や、2020/5/30付「電子契約の効力 法的リスクも 制定20年前、第三者署名は想定外 ハンコ見直しの壁に」と題する記事でも紹介されています。

かなり長くなってしまいましたので、電子署名の法的リスクについては、別の回に譲りたいと思います。(2020年6月22日更新:「電子署名と押印」をご覧ください。)